受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.24 希望が限られた命の時間を深くする3
2022-04-08
前回お話しした乳がんの患者さんからもうひとつ学んだのは、患者さんの求めることと、その命にとって大切なこと(医学的な必要性)は必ずしも一致しないという点でした。このケースでは、彼女の心が求めた乳房温存は彼女の命にとってリスクに作用したからです。
つまり、患者さんの要求をうのみにすることがそのまま患者さんの生命を尊重するとはかぎらない。だから、患者さんの心が求めるものに耳を傾けるのと同時に、その命にとって真に必要なものを患者さん自身にもよく知ってもらうこと。それも医師のきわめて重要な仕事だと思うようになったのです。
もちろん、その命にとって大切なことが単なる延命治療であってはなりません。
命をとにかく一分、一秒でも長く生きるだけが治療の目的になったのでは、患者さんを人間として大切にあつかうことはできないからです。
命は長く生きると同じくらい、「深く」生きることが大事です。残された時間が限られた時間であっても、その時間を深く過ごすことができれば、人は病気であっても充実して生き、満足して死んでいくことができるはずです。
では、限られた時間を、深くするものは何か。くり返しになりますが、それが希望だと思います。たとえ短い時間でも、希望と喜びをもって生きることができれば、その生と死は充実し、満ち足りたものになりうるでしょう。
延命治療とは本来、その希望を患者さんに感じてもらうために行われる処置であるべきで、命に残された時間をただ物理的に長くするためのものではないはずです。もし私が、前述の乳がんの女性に希望を与えることができていたら、彼女はきっと「乳房を失うくらいなら死んだほうがまし」と思う心を逆転させて、「乳房を失っても生きていたい」と考えてくれたにちがいありません。
医師の最大の役割は、患者さんのもっている時間―それが長かろうが短かろうが―をいかに希望の色で染めることができるか、どれだけその手助けをすることができるかに集約されてくると思うのです。
そして、それができたときにはじめて、医師が患者さんと「共にある」ことが可能になるのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。