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コラム

受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.36 痛みは人間である証し2

2022-07-01

 鎌形赤血球症の患者さんが味わっている壮絶な痛みの現実を前にして、「病気にも意味がある」という言葉がはたして有効なのか。そもそも、いま痛みに悶(もだ)え苦しんでいる患者さんに向かって、「その苦しみにも価値がありますよ」などと軽々しく口に出せるのか。私にその自信はありません。けれども、その事実を十分に認めたうえで、なお、病苦が人生の土壌に栄養を与え、ときに、希望の種さえ蒔(ま)いてくれる肥料となる場合も、ありうるように思えるのです。

 たとえば、先天性無痛覚症というめずらしい病気があります。文字どおり、生まれつき痛覚を伝える神経に異常があって、痛みを感じることのできない病気です。痛いのは苦しいから、痛覚がないのは楽でいいと考える人もいるかもしれません。

 しかし、この無痛覚症の人の危険や苦しみはわれわれの想像を絶するものがあります。ケガやヤケドをしても痛くないので、そのまま放置して細菌に感染してしまう。骨折しても気づかないまま体を動かしつづけて悪化させてしまう。無理な姿勢をとって脱臼(だっきゅう)をくり返す。食事中、舌をかんでも痛みを自覚できないため、何度もかんでいるうちに舌が変形してしまう。そんな症例が報告されているのです。

 また、痛覚がないことに焦(じ)れるのか、刺激を求めて頭を何度も壁にぶつけたり、歯を抜いてしまったり、刃物で体を傷つけたりする子どもの患者もいるようです。

 痛みというのは体の警告信号であり、防御装置です。したがって、それがないと痛みを通じての学習や記憶ができず、自分の体を守れなくなる。場合によっては、生命の維持にも危険信号がともってしまう。

 すなわち、痛みは、健康や生命にとって必要不可欠なものなのです。もちろん、肉体上の痛覚は生命維持にとって必要であっても、それが人間の心にもたらす精神的ダメージは、小さいものではありません。

 にもかかわらず、病気のもたらす苦しみや痛みは、人間にとってなにがしかの意味や必要性をもっている……。私がそう考えるようになった理由をこれから続く数回のコラムで述べてみましょう。


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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新原豊

新原 豊(にいはら・ゆたか)
1959年東京生まれ。ロマリンダ大学宗教学部卒、同大医学大学院卒。1989年よりUCLAハーバー総合病院にて血液内科と腫瘍内科に所属。ハーバード大学で公衆衛生学修士課程を修了。2005年よりUCLA医学部教授に就任。Emmaus Life Sciences, Inc. 会長兼CEO、EJホールディングス㈱ 取締役会長。Emmaus Life Sciences, Inc. の株式シンボルは、”EMMA” です。




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