受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.53 まかせることは、強さになる1
2022-10-28
悪を減らすよりも善を増やすほうに力を注ぐ。グルタミンの投与を抑えるのではなく、むしろ大量に投与する。
この劇的ともいえる新発見の立役者であったゼレーズ先生は、それから二、三年後に研究室を去ってしまいました。一種の燃え尽き症候群のようなものだったのかもしれません。先生は以降、鎌形の研究からはいっさい手を引いて、いまはハワイで開業医となり臨床医として励んでおられます。
地位や名声のために、やっきになっている研究者も中にはいますが、世の中の注目を浴びることなく、沈黙のうちに偉業を成し遂げている人も大勢います。
科学者にとってもっとも大きな賞のひとつにノーベル賞がありますが、賞をとった人ほど、それが自分ひとりの功績ではなく、無数の研究者の足取りをたどってやってきたということを感じているでしょう。それが研究の本質なのです。
私がゼレーズ先生から引き継ぎ、開発した鎌型赤血球症の新薬というのは、つまり、グルタミンのことでした。グルタミンというアミノ酸をそのまま鎌形赤血球症の治療薬として使っているのですが、これが、これまでに例のない新しいことだったのです。
グルタミンは副作用がほとんど皆無であり、鎌形赤血球症の典型的な症状である痛みをいちじるしく緩和するだけでなく、血行をよくしたり、皮膚や粘膜の再生を促すなど、健康な人にとっても、それを維持するのに望ましい効果の得られる物質です。
その後、天のお導きと多くの方々の支えのうちに順調に治験段階を進み、最終段階である第三次治験が二〇一四年に無事終わりました。その結果は、私どもの期待以上で、痛みを伴うクライシスを防ぐだけでなく、クライシスが出たとしても、その症状が比較的軽く、入院日数なども短くなるとのデータが出ました。そして、私にとって特に感謝だったのは、この疾患で最も恐ろしい合併症といっても過言ではない急性胸部症候群の発症頻度が年間六〇%以上も下がっていたというデータでした。それらの結果をまとめ米国FDAに新薬申請をさせていただいたところ、二〇一七年七月七日に新薬承認を頂くことができました。無我夢中で仕事をしていたので時間が過ぎるのに気づかなかったようですが、振り返ってみると三二歳のときにゼレーズ先生のもとで研究を始めてから二五年が経っておりました。
次回に続く。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。