キム・ホンソンの三味一体
vol.181 世界の終末のその先にあるもの
2022-11-18
環境破壊の結果、気候変化が明らかになって世界の終わりが具体的な話として認識されるようになりました。実は、2000年前にすでにイエスは世界の終末について具体的に語っています。
「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」(ルカ21:10-11)
地震や飢饉などは現在進行形に続いていることですし、疫病といえば未だに猛威を振るっているコロナのことが真っ先に頭に浮かびます。恐ろしい自然現象というのは、それこそ環境破壊による気候の急変のことで、国と国の戦いというのは、現在も続いているロシアのウクライナ侵攻を連想してしまいます。そして、民と民の間の分裂というのは、アメリカ内での顕著な貧富の差や、中絶権などを巡っての政治的な二極化が思い当たります。
それだけではありません。これらの災難や災害や事故や事件は、何も世界的な規模で起こっているのだけではなくて、個人的なレベルでも日々起こっていることかも知れません。生きて行く中、事故に遭ったり、犯罪の被害者となったり、人間関係に躓いたり、リストラに遭って経済的に危機感を覚える時だってあります。他人からすれば「生きるか死ぬかの問題ではない」かもしれないけれども、当事者にとったら、それこそ世の末のように絶望的で不安な時があります。現に私たちは、終末と隣り合わせの日々を歩んでいるのかも知れません。
確かに、イエスは世界の終末について語りました。しかし、世界の終末のその後についても語っているのです。「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」(ルカ21:18-19) 要するに、この世の終末を思わすかのようなことが起こったとしても、それぞれのおかれた状況が絶望的に思える時でさえも、神は絶望のその先に、神に信頼し忍耐する人々を守る、ということです。イエスが、指し示す憐れみの神は、この世界のはじまりよりも先に存在して、この世界の終わりの後にも存在すると言われます。私たちの髪の毛一本までも数えている神が、これまでも、これからも、死の先でさえも、また、この世界が終わりを迎えようとも、私たちを引き受け、私たちと共にいる。このことを知ることで、世界の終末という絶望の中に輝く小さな希望の光を見ることができます。恐れ、戸惑い、慌てることはないのです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。