キム・ホンソンの三味一体
vol.189 これまで経験したすべての人々の死を偲びつつ
2023-05-19
キリスト教を語るうえでパウロという人物を欠かすことはできません。元々彼はキリスト教徒を迫害することを目標に生きていたような人でしたがイエスの語りかけによって今度はキリスト教を布教する者へと変えられるのです。異邦人の使徒とも呼ばれるパウロによってユダヤ教の一派だったキリスト教がユダヤ地方から全世界に広まるようになったと言っても過言ではありません。その彼が2回目の宣教旅行でアテネに行き、そこでギリシャの哲学者達を相手にキリスト教の教えについて演説したことが聖書に書かれています。実は、これは世界史において大事件だったと思います。というのは、まさにこの時初めて、二つの異なる文明が武力的にではなく、知性的に衝突したからです。
一方は、人間の理性の力を信じて、万物を、理性をもって推し測ったり、説明しようとする哲学的なギリシャ・ヘレニズム文明。もう一つは、天地創造の神という万物を司る方自身が、人間に対して自分のことや自分の意思・計画を啓示するという信仰のヘブライズム文明です。この二つは、水と油の関係と言って良いくらい、お互いに相いれないものです。ところが、こうように本質的に対立するはずのものが、いつしか西洋文明の二大底流となっているのです。ずっと後になってキリスト教がローマの国教となり全ヨーロッパがキリスト教化されるのですが、だからと言ってヘレニズム的な考え方が根絶したわけではありません。今に至るまでこの二つの考え方は人々の中に混在しているのです。例えば、重い病気にかかった場合、私たちはその病気が治療可能な病気なのか、治る確率は何パーセントなのか、と理性でもって推測ってその病気と戦うことに全力を尽くします。自分の人生の舵を自分で取って荒波と戦いつつ進んでいくのです。しかし、荒波のその先にも病気の克服はなく、ただ死が待ち受けていると知る時、もちろん最後まで病気と戦う人もいると思いますが、多くの場合は自分の置かれた状況を受け入れて死を迎える用意をする人が多いかと思います。そして、その時に神の存在について知ることは、その人自身の生涯が肯定され大きな慰めと安らぎを得ることにつながります。神によって命が与えられ、家族や友をはじめ多くの人々が与えられたこと。そして、その関わりの中で自分の人生の意味を吟味し、今や死のその先においても新たな命が与えられることを知ることは、人間の理性と知性を超えた希望を持つことです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。