キム・ホンソンの三味一体
vol.193 風に逆らって水の上を歩くのは…
2023-08-18
地球温暖化によって世界のあちらこちらで深刻な災害が続いています。実際にこのような災害に遭っている時に一番つらいことは、この状態がいつまで続いてどれくらいの被害を受けるのかが分からない、という点ではないでしょうか。「分からない、見通せない」といった状況こそ、私たちがストレスを強く感じるきっかけの一つかもしれません。
聖書の中に、イエスの弟子たちが舟でガリラヤ湖の対岸に渡ろうとした時に逆風に悩まされて苦しんでいた時のことが書かれています。夕方に漕ぎ出したのが明け方になっても一向に前に進めずに湖の真ん中に停滞していたというのですから、かなりの強風とそれによる波だったと推測できます。おそらく最初は頑張れば何とかなるだろうと考えていた弟子たちも、次第に不安と恐怖が募り始め、夜明け頃にはパニック状況にまで陥ったことでしょう。恐怖のあまり自分達を助けるために舟へと近づくイエスを見て幽霊だと恐れ叫び声をあげたというのです。その時、弟子たちを苦しめていたのは「分からない・見通しがつかない」ということではなかったのでしょうか。強い逆風がいつまで続くのか分からない中、漕ぎ続けなければならないこと。そして、湖がどれほど深いのかが分からない、底が見えないことに弟子たちはただ震え上がる他なかったのです。
人は生きる上で多くの困難に対面します。一度や二度の困難は、がんばって乗り越えることもできるでしょう。しかし、継続する苦難に遭うと、自信が打ち砕かれ、自分の力では立ち上がることができず、弾力を失った心は折れてしまいます。一筋の希望の光すら届かない湖の底のような恐怖は、それ自体が絶望であり死です。けれども、苦しみの長さと深さ、いつまでなのか、どの程度なのかが分かれば、それに耐えることもできるのが人間です。
イエスが弟子たちを助けるために舟に近づいた時、なんとイエスは湖上を歩いていたと聖書は証言しています。イエスはどうして水の上に立つことが出来るのか。それは湖の底、恐怖心の底、苦しみの底、痛みの底、屈辱の底、命の底を、人類のために十字架にかかって経験した救い主だからこそ可能だったのではないでしょうか。
私たちが悲しみと苦しみの逆風に悩まされている時、自分の無力さと弱さを痛感し不安に飲み込まれそうになっている時、人生のどん底を経験し死のまた向こうを見通している救い主が風に逆らって私たちへと向かっていることを知ることで、私たちは人生の荒波の中にあっても平安に満たされることができるのです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。