キム・ホンソンの三味一体
vol.200「救い主に会うまでは決して死なない」
2024-01-19
聖書の中には預言者や祭司など、ある特定の使命を任された人々が登場するのですが、中には肩書きなどないまま使命だけが与えられた人々も出て来ます。中でもシメオンという老人は非常に興味深いキャラクターではないかと思います。彼については「正しい人で信仰があつい」、とくらいしか書かれていません。そして、神から彼に与えられた使命とは「救い主に会う」ことであり、その任務を果たすまでは決して死なない、という定めになっていたというのです。
幼子イエスが家族と共に神殿に入って来た時、シメオンは幼子イエスに近づき抱きあげてこう言ったとあります。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」つまり、「ついに死ねる」と。この言葉から、彼が長い時を生きて来たことを知ることができます。与えられた役割、すなわち「救い主に会うまでは決して死なない」とは、恵みであると同時に、シメオンを縛り付ける呪いのようなものだったのかも知れません。この務めを果たすために、シメオンは、それまで幾度なく神殿に足を運び、いかに多くの幼子を見たことでしょうか。そして、ついに彼は救い主に出会いその腕に抱くことができたのです。
シメオンの場合とは異なるものの、私たちにも、これを果たすまでは絶対に諦めないぞ、という風に決心することがあります。特に今のような年初めには、今年こそと抱負を掲げたりします。稀にその抱負を貫いてほしい結果を手に入れる人もいますが、多くの場合は途中で挫折を経験してしまうのです。しかし、いかに私たちの抱負や目標が挫折に終わったとしても、自分の置かれた状況を改善できずじまいになったとしても、私たちは、救い主が到来した後の時代を生きているのです。これでやっと死ねる、といったシメオンの言葉には、救い主によって死のその先にも命が備えられているとの確信が含まれているのです。
今年はいい事ばかりが待っているはずだ、とは思いません。しかし、すでに救い主が与えられた時代に私たちは生きているのだ、と知る人の心には平和と安らぎが溢れます。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

