キム・ホンソンの三味一体
vol.208 自由と解放の書物 PartⅡ
2024-05-17
前回に続いて今回も聖書という書物についてです。大きく分けて世界には聖書に対する3種類の見方があります。まずは、「諸々の本の中の一冊である」というノンクリスチャンの見方です。そして、次の2つの見方は、どちらもクリスチャンが持っている見方です。その一つは、「聖書は限られた能力と知識を持って限られた場所で限られた時間を生きた人々によって書かれたものである。しかし、と同時にその中には確かに命の言葉、キリストが含まれている」という見方です。そして、もう一つは「聖書は100%神の言葉である。よって一字一句が間違いなくすべて真実である」という見方です。実は、私の母も聖書の一字一句を文字通りに信じるとても保守的なクリスチャンです。保守的であることは決して悪いことではありません。ただ私の母の場合、いつも他の宗教を否定したり、自分の信仰の基準を持ってきて他人を裁いたりするような独善的なところがありました。もう過去のことですが、最小限のマナーとして母にいくつか注意すべき点を話してあげたつもりでしたが、逆ギレをされてしまい「お前はそれでも牧師か」とまで言われて、それ以来絶対に母の前で信仰の話しはしない、と心に誓ったのです。
そのような母が脳出血で倒れて、私が一時的に韓国に帰国した2019年の冬のことです。母の部屋にある古い書類などを片付けていて、母の日記帳を見つけたのです。たまたま手にしたのが丁度、私が軍隊に入っていた頃のものでした。毎日その日のことについて一言書かれていて、最後にはその日祈ったことについて書かれてあったのです。毎日私のことが祈りのリストに入っていました。ひょっとして、と思って私の徴兵の3年間を全てチェックしましたが、毎日、一日も欠かさずに軍隊にいる末っ子のために祈ってくれていました。私は、正直、誰かのためにこれだけ祈ったことはありません。軍隊にいた頃、あれこれと小さな事故や怪我などはありましたが、これといって危険な目にあったことはありませんでした。単純で頑固で独善的な母親の祈りによって、実際に自分は守られたかもしれない、と思うと、謙虚な気持ちにならざるを得ませんでした。単純で頑固で独善的な母親ではありますが、息子を愛する心と、神はきっと息子を守ってくださる、という信仰は真実なものだったのです。同じく、限られた知識と限られた時間を生きた不完全な人間によって書かれた聖書だとは言え、その中には確かに人類に対する神の愛が含まれているのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。