キム・ホンソンの三味一体
vol.209 もう一つの世界
2024-05-31
聖書の中にイエスと議員であり有識者であったニコデモという人物との間に交わされた興味深い対話があります。イエスが「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」、というとニコデモは全く理解できずに「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」(ヨハネ3:3〜)というようなトンチンカンなことを言ってしまうのです。しかし、イエスがここで言わんとしたことは、私たちが知っている世界とは別のもう一つの世界を知ることこそ新しく生まれることなのだ、ということです。
つまり、今私達が目で見て認知できるすべてのもの、今までの経験で知っていることや知識をはじめ、自分が確実だと信じて疑わないすべてのもの、これは肉による世界です。それに対して神が治める世界は霊による世界なのです。新しく生まれるということは、肉による世界に加えて霊による世界を知る、ということです。
映画フォレスト・ガンプの中にダン・テイラー中尉という人物が登場します。彼は主人公のガンプの指揮官で代々軍人として国に仕えてきた家系に属するエリートの将校です。そんな彼がガンプたちを率いでベトナムのジャングルで戦うのですが、その戦闘で敵の攻撃を受け倒れてしまうのです。そして、ガンプがその彼を背負って無事に逃げ切るのですが、病院で目が覚めたダン中尉は自分の両足が切断されているのを見て、となりのベットにいたガンプを引きずる下ろしてこう言うのです。「俺の運命は名誉の戦死だ。あそこで部下と死んでいくと決まってたんだ。それが運命だったんだ。お前は、それを邪魔したんだ!」「俺を見ろ。これからどうする?どうすればいいんだ…」退院後、軍隊を除隊した後のダン中尉の人生は自虐的な自暴自棄の毎日でした。ガンプを恨み。自分を呪い、神をも呪うのです。
彼が生きている世界は肉による世界なのです。肉による世界では主語は「私」です。両足を失ったダン中尉は、「私は終わった。私はもう何の役にも立たない。私は生きる価値のない存在だ。私は死んだ方が良かった。」と自分が主語の世界だけを生きていたのです。しかし、エビ漁船上で激しい嵐に見舞われた夜、彼はもう一つの世界に気づくのです。そして翌朝、彼は初めてガンプにこう言うのです。「まだ礼を言っていなかったな、助けてもらった。」
自分で自分をどれだけ惨めだと決めつけたとしても、それとは関係なくそのままの自分を受け入れてくれる存在がある。神が戦場から助け出し、神が一生の友人を与え、神が愛し続けてくれる世界、「神」が主語となる霊による世界があることに、彼は気づいたのです。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

