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コラム

マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.48 亀裂(4)

2024-05-31

 私たちが意識と呼ぶものにまつわるすべての出来事を脳の活動に言い換えることができるなら、「意識の中に〇〇が存在する」という表現や、意識という鏡が世界のありのままの姿を映し出すという考え方、さらには「世界のありのままの姿」という概念すら、根拠を持たなくなってしまいます。

 例えばピタゴラスイッチのように、ビー玉が落ちてパネルが裏返ると鉛筆が飛んで的に当たり、糸が切れておもりが落ちて次のビー玉が転がって、と自然界の物理法則に従って動く世界がある。足の上におもりが落ちたら足の神経に落下の衝撃が伝わり、体内の神経を通じて脳に伝達され、「痛い」と感じる。私たちはこの物理法則に従う世界に存在し、この世界について語ることができます。同時に、私たちは「意識」についてもあれこれと語ることができます。「意識」にはもちろん色も形も長さもないので、ピタゴラスイッチ的な世界のビー玉と同じように「存在する」とは言えない。仮に前者の語りを「物理世界の言葉」、後者を「意識の言葉」と呼ぶならば、物理世界の言葉と意識の言葉は別次元のものとして扱う必要があります。つまり、前者と後者の間には根本的な亀裂が存在します。

 では、この亀裂を前に、私たちはどうすべきでしょうか?意識の言葉を完全に捨て去り、物理世界の言葉だけを「正式」な言葉として認めるべきなのか。哲学者の中にはそれを推奨する人もいます。でも果たしてそれは可能でしょうか?また、そうすべきでしょうか?「痛い!」を「XX神経が反応した!」と言い、「これ旨いなあ」を「AB神経が反応してるなあ」と言うことは現実的に不可能かもしれないとしても、「痛い」や「旨い」は本来使わなくてもよかった言葉と考えるべきなのか。「正式」な脳神経の記述とは違う、ランクが下の言葉として「オフィシャル」な言葉と区別するべきか。意識の言葉、「心」について語ることはすべて、プライベートな場面で使うべき言葉、もしくは「サンタクロース」や「ハリーポッター」のように、歴史の一時点で誰かが考え出し、現在まで多くの人に支持されてきた魅力的なファンタジーのひとつにすぎない、と捉えるべきなのでしょうか。(続く)


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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葛生賢治

哲学者。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム、ジョン・デューイの哲学。現在は東京にて論文執筆、ウェブ連載、翻訳に従事。ウェブでは広く文化事象について分析を展開。




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