キム・ホンソンの三味一体
vol.211 しるし
2024-08-02
聖書の中にはイエスが起こした奇跡の数々が書かれています。中でも最も有名なものの一つが5つのパンと2匹の魚で五千人以上の大群衆を満腹にした奇跡です。この奇跡を経験した人々はそれを機にイエスを自分たちの王にしようと執拗に追いかけ、イエスはそれらの人々を避けるようになります。人々はイエスが自分たちの王になれば一生満腹でいられるに違いないと考えたのです。人々にとってイエスの奇跡は食べ物を増やすマジックのようなものでしかありませんでした。
ところでこの奇跡という言葉ですが、聖書の中では奇跡ではなしに“しるし”という言葉が使われています。しるしとは、その人が神から遣わされた者であることを証明してくれるものとして旧約の時代からすでにあった概念です。しかし、イエスの行ったしるしには、以前のそれに加えて神の国のプレビューとしての意味がありました。神の国とは、お金と権力が何よりも大事とされている今の世界とは違って、神の愛と正義が全てに勝って行き届いている状態のところを指しています。つまり、イエスは5つのパンと2匹の魚の奇跡を通して神の国がどのようなところなのかを人々に経験させたということです。5千人以上の大群衆の中には、安息日にも隠れて働かざるを得なかった貧しい者、徴税人、娼婦、それに体に障がいを抱えていた者など、当時罪人として烙印が押され、神殿での罪の赦しの儀式を受けることも許されず、人々からも神からも見捨てられていると蔑まれていた人々もいました。イエスは、5つのパンと2匹の魚ですべての人々を満腹させることによって人間の基準を覆し、神は分け隔てなく全ての人を愛し、漏れなく憐れみ、漏れなく養ってくださる神の愛の世界を現したのです。しかし、人々にはそのしるしが見えず、ただパンと魚の食べ放題を喜んだだけでした。
先日、家族みんなでオリンピックゲームをテレビで見ていた時のことです。1匹の小さな蜘蛛が現れたことでみんな「気持ち悪い。パパ殺して。」と騒いでいた時、生き物が大好きな末っ子のジョナが2枚の紙をもって現れては大事にその蜘蛛をすくいあげ、庭に放してあげたのです。それはまるで一つのしるしでした。それが誰であろうとも、嫌われ蔑まれている人だとしても、その人をも愛し救ってくださる神の恵みを思い起こすことができたのです。私にはジョナのことを過大評価するつもりも、「気持ち悪い。パパ殺して。」と言ったみんなのことを非難するつもりもさらさらありません。ただ平凡な日常のひとコマの中で、神の恵みを思い起こすことのできた“しるし”を見たことがただただ嬉しいのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

