キム・ホンソンの三味一体
vol.212 すでに得ている
2024-08-16
イエスの言葉は当時の人々にとって不思議で不可解なところがあったはずです。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」(ヨハネ6:56) この発言は、イエスが十字架にかかる前日、弟子たちとの最後の晩餐の前のものですから、人々にはこれが聖餐式を意味しているとは分からなかったでしょう。実際にこの発言が理解できずに「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」(ヨハネ6:60) といって多くの弟子がイエスのもとを離れた、とも書かれています。
これに加えてイエスはもう一つ不思議な発言をします。それは「(わたしを)信じる者は永遠の命を得ている。」(ヨハネ6:47) という言葉です。未来において得られるだろうではなしに、今すでに得ているのだ、と現在完了形で言っているのです。これは、やがて起きるであろう救いの完成が、それを信じる者にとってはすでに起こった現実である、という聖書特有の考え方です。
4年前になりますが、母が突然脳出血で倒れてしまいました。倒れた当初は、少しは意思の疎通もできていたようですが、私がソウルに駆けつけた時には、もう対話などできなくなってしまっていました。最後に一言でいいから言葉を交わしたかった、と今でも時々悔しく思えてなりません。今では寝たきりのほとんど植物状態の母ですが、ソウルの兄が母親の施設に寄る度にスマホで母親の写真を撮って送ってくれるのです。
私が小学生の頃、私は母が世界で一番綺麗だと思っていました。しかし、写真の中にそんな母の姿はありません。老いと病によって誰だか分からないくらい変わり果ててしまった姿があるだけです。私は兄から送られてくる母の写真を見る度に、かわいそうな母のことと、そんな母に何もしてやれない自分の無力さに絶望してため息をつきます。そして、そのため息は、きっと祈りとなってキリストのもとに届くのだと思います。なぜなら、ため息をつく度に、永遠の命を与えてくださるキリストのことを思い起こすことができるからです。すると、今度はその変わり果てた母の写真を見ながら微笑むことができるのです。世界で一番綺麗だと思っていた母に、私が死んだ後に天国でまた会えると思うからです。その母の写真を手にしている時に、私はすでに永遠の命を得ているのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

