キム・ホンソンの三味一体
vol.215 命よりも大切なもの
2024-10-04
聖書の中に「もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。」(マルコ9:45)というやや過激な言葉があります。ここでいう命がこの世での命ではないことは確かです。イエスは、今私たちが生きている命とは別にもう一つの命があって、その命こそが私たちにとって大切な命なのだと言っているのです。生命の大切さ。命より大切なものはない、と言い聞かせられてきた私たちにとって、その命よりも大切なものがあると言われることは多少過激に聞こえることも事実です。では今の命より大切なもう一つの命は何でしょうか。それについて事故によって手足の自由を失い口に筆をくわえて絵画や詩の創作活動をしていた詩人、星野富弘さんはこのような詩を書いています。
「いのちが一番大切だと思ったころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」
星野富弘さんが1986年にこの詩を書いて以来、長年「命より大切なものとは何ですか?」という質問を受けていたそうです。しかし、未曾有の大震災となった2011年3月11日の東日本大震災以降、この質問を受けることはほとんどなくなったそうです。震災によって昨日までそばにいた家族や友人が一瞬にしていなくなってしまったのですから、命が何より大切だと痛感するのは自然なことです。にもかかわらず星野富弘さんは、もし命がいちばん大事だとしたら、健康で長生きすることだけが価値ある人生だとしたら、生きるのは、あまりにも悲しくて苦しい連続ではないだろうか、と問うっているのです。星野富弘さんは「津波が迫る中、水門を閉めるために津波の方に向かって走っていった人、人の波に逆らうようにして『津波が来るぞ』と知らせて回った人、その人たちは皆、自分の命よりも大切なものに向かっていった人ではないかと思います。」と言いました。
生物としての自分の命を健康に長く生きることだけが大切だという強迫観念から解放される時、皮肉にも今の人生が、それがどういう人生であれ嬉しい人生となるのではないでしょうか。死のその先に神によって与えられるもう一つの命があることを知る時、人は死に対する恐れや絶望感や虚しさから解放され今の自分の命よりも大切なものに向かっていくことができるのではないでしょうか。
礼拝:日曜日午前10時(ハンティントンビーチ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

