キム・ホンソンの三味一体
vol.220 これからの4年
2025-01-31
聖書の中にはイエスと宗教指導者たちとの対立の場面が数多くあります。そのことから、ともすれば権力者以外の一般の人々は皆イエスを支持していたと思われがちになりますが、実はそうではありませんでした。イエスが権力者から抑圧を受けていた人々を擁護していたにもかかわらず、中にはイエスを崖から突き落とそうとしたり、石を投げつけて殺そうとした人々もいたのです。しかも、これらの人々は、皆最初はイエスのことばに驚きイエスを褒め称えていた人々だったのです。では最終的にイエスに対して殺意を抱くきっかけになったのは何だろうか。それはイエスが彼らの民族主義を否定したからでした。お金持ちも貧乏人も、権力がある者もない者も、すべての者が共通して自分たちは神によって選ばれた民族であるという誇りがありました。イエスは、神はアブラハムの子孫のみを祝福し救うのだという選民意識を否定し、全ての人を分け隔てなく愛す憐れみの神について語っただけでなく、イスラエルの民といえども罪を悔い改めないのなら滅ぼされてしまうのだと警告したのです。
民族主義が唯一肯定的な役割を果たすのは、例えば、侵略してきた他民族の支配下におかれて「お前達は劣等な民族だから支配されてもしょうがないのだ」と言われているのに対して、自分の民族の誇りをもって立ち上がる時だと思います。それ以外の場合の民族主義というのは全てただの「集団的利己主義」に過ぎません。そして、それが行き着くところは暴力の正当化であり、集団リンチ、虐殺、ジェノサイドに他なりません。一見何の害もないような普通の群衆が、イスラエル第一主義を否定された途端、怒り狂った暴徒に豹変したのです。
そういう意味で、これからの「アメリカ第一主義」の4年が心配になります。いつのどの状態のアメリカが素晴らしかったのかという定義も合意もないまま、アメリカをもう一度素晴らしい国にするという旗を掲げてのこの行進。そして、この行列の妨げとみなされる対象は、攻撃を受け排除されていくのだと思うのです。しかし、そういう時だからこそイエスの利他的な歩みに倣うことが必要ではないでしょうか。弟子たちが逮捕されて十字架にかけられるイエスを裏切って逃げてしまうだろうことを知っていながらも、その弟子たちの足を洗い、互いに愛し合いなさいと教えたイエス。人々に惜しみなく与え続け、最後には自分の命まで与えたイエスのその自己犠牲の愛に倣うことが、むしろアメリカを素晴らしくする道ではないでしょうか。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

