マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.56 演じる(5)
2025-01-31
演じることに宿る「新しい真実」は、「2+2=?」に対して「4」が正しいのとは別の種類の「正しさ」を示すとしたら、その「正しさ」とは何でしょうか。
数式の例のように、一般的に「正しい」とは2つのものが合致する場合に使われます。「正しい行い」とは道理や理念として掲げられた価値に、ある行いが合致している場合に使われます。「正しい姿勢」は身体の各部分がバランスを保つ理想の状態が想定され、それにある姿勢が合致した状態。「正しい考え」「正しい薬の飲み方」「正しい調理法」なども同様。単純化するならば、星形に空いた穴に対して星形のブロックが「合う」ことです。ここで重要なのは、星型以外にも様々な形をしたブロック、つまり「正しくない」ブロックが想定されているということ。それらを比較して「これは星型の穴に合う=正しい」「これは合わない=正しくない」を判断する。「正しい」にはそれが想定されています。
でも、私たちが経験する「正しい」には、全てこのような比較が想定されているでしょうか?例えば「運命の人」との出会い。相手を生涯のパートナーとして「正しい」と確信する時、私たちは上記のような比較をしているでしょうか?しているなら、膨大な数の人に出会い、各自を綿密に比較・検討してから「正しい」と確信したことになります。そうでなければ、常にどこか他の場所に「より正しい」人がいるかもしれない、と思い続けることになるでしょう。目の前の「正しい」相手とは比べ物にならないくらい、自分にとってはるかに「正しい」相手がニュージーランドのウェリントンに住んでいるかもしれない。ナイジェリアのアブジャにいるかもしれない。「正しい」を確信した人が、世界中を旅して徹底的にパートナー探しをしていないなら、それは経済的・物理的な理由からだけでしょうか?(もちろん、読者の中にはウェリントンやアブジェでパートナーに出会った方もいると思います。おめでとうございます。でもイエメンのサナアには行きました?キルギスのビシュケクは?)
つまり、私たちの「正しい」には、ブロックを比較して選ぶときの「正しい」とは別の種類の判断も存在するということです。(続く)
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

