キム・ホンソンの三味一体
vol.221 不幸こそ幸い
2025-02-14
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」(ルカ6:20、21)
これはイエスが自分に会うためにユダヤ全土から集まってきた人々に語ったイエスの名説教として知られているところの一部です。人々が野宿をしながら何日も歩いてイエスのもとに集まったのであれば、興味本位や暇つぶしではなかったと思われます。きっと自分が抱えている悩みや悲しみ、苦しみや痛みという人生の重荷からの救いを求めて集まったのではないでしょうか。そして、これらの人々は皆共通して貧しく飢えていました。いつの時代でも人間の不幸の原因の一つにこの貧困というものがあります。ほとんどの場合、人は生まれる時にすでに貧困な人生になるのかそうでないのかが決まるのではないでしょうか。そして貧困というスタートに立たされた人は貧困がもたらす負の連鎖の結果、苦しみや悲しみという重荷を負わされてしまうのです。しかし、なんとイエスはこれらの人々に対して「貧しいあなたがたは幸せであり、天国はあなたがたのものだ」と語ったのです。実はこれには逆説的な意味が込められているのです。分かりやすく説明するとこうなります。「あなたがたは悲しみや苦しみを抱えていたがために救いというものを真剣に求めることができたではないか。救いを求めてわたしのところに来たあなたがたは幸いだ。わたしによって救いが与えられるからだ。」
と同時にイエスは富んでいて、満腹で笑っている人は不幸だとも語りました。結局のところ、人は一人で生まれ一人で死んで行く。物質的な豊かさ、若さ、能力、快楽は一時的なものに過ぎないというのが私たちの生きている現実。それではどのようにして自分の人生から意味を見出すことができるだろうか。どこからこの虚しさからの救いを見出したら良いのだろうか、と言わば心のアラームのようなものが鳴る時があります。しかし、そのアラームがなる度、自分の銀行口座の残高を確認して「これくらいあるから安心だろう」、または「これくらいの持ち家があった、これくらいの車に乗って、これくらいの物を使っているのだから自分は幸せに違いない」、と次から次へとアラームを止めて行くこと。そしてその結果、本当の救いを求めることができない人々を、イエスは不幸だと言っているのです。
人生における欠如、苦しみ、悲しみ、悩み。自分を苦しめていたこれらのものがあったからこそ本当の救いを見出せた人は幸いです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

