キム・ホンソンの三味一体
vol.223 四旬節の過ごし方
2025-03-14
先週の灰の水曜日でもって四旬節に入りました。教会の暦において四旬節とは灰の水曜日から復活祭(イースター)までの日曜日を除く40日間のことです。四旬節はイエスが受けた苦しみをおぼえて信者ならば生活の中で何か一つくらいの楽しみを我慢し慎んで歩むことになっています。昔は肉を食べないというのが一番大事だとされていて、四旬節の前に思う存分に肉を食べるお祭りができましたが、それが現在のカーニバル(ラテン語で“肉を取り除く”という意味)の由来だと言われています。しかし、大事なことは肉を食べないということではありません。節制と我慢を通してキリストが人類のために担った苦難を少しでも感じることが大事なのです。
イエスは、民を顧みずに自分たちの権力と富にだけ執着したヘロデ王をはじめ当時の宗教指導者たちに対して悔い改めを呼びかけ続けました。しかし、彼らは反省するどころかイエスを目の敵にしてとうとう殺害の計画を立てたのです。それを知ったイエスは、彼らに対してこんなことを言いました。
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。」(ルカ13:34)。
生まれて間もない雛は自分の力では生存することができません。めん鳥の保護か必要不可欠です。しかし、当事者の雛はそのことが分かってないのです。めん鳥が一生懸命に雛を自分の羽の下に集めようとしても、雛はひょこひょこと出て行ってしまうのです。イエスはめん鳥のように何度も繰り返し人々に罪を悔い改めるように勧めたけれども、人々は聞く耳を持ちませんでした。イエスはそのことを嘆いた後、自らエルサレムに行き十字架にかかることになります。自分の命をもって全人類の罪をあがなうことになるのです。
十字架にかかったイエス・キリストの姿は、鳥が翼を広げてその下に雛を集めるように両手を大きく広げて人々を守ろうとする姿に見えます。自分を犠牲にしても雛を守ろうとする最も無防備な手を広げたままの姿です。イエスは実際にその姿で、人々をかばうために祈りました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)
真実の愛には必ず犠牲が伴うのだと思います。小さな我慢、小さな死、小さな犠牲を通して全ての人々のためにすでに払われた大きな犠牲について吟味する。これが四旬節の40日間の正しい歩み方です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

